読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

NOCTURNAL

日々肝試し

信じる、信じない、

未体験ゾーンの映画たち2017で毎年恒例の「特捜部Q Pからのメッセージ」を観てきた。

海辺で助けを求めるボトルレターが見つかって特捜部Qが内容を調べ始めると、新興宗教の熱心な信者の家から子どもが誘拐されていたことがわかる。そんなときまた新たな誘拐事件が起きる…というのが話のさわり。


『特捜部Q Pからのメッセージ』予告編

予告編でもわかると思うけど、特捜部Qは美男美女があんまり出てこない、人間味系の俳優が出演していると思ってる。でも今作では犯人役がもろに美男で大変気持ち悪い(良い意味で)。映画で扱われる家族と信仰、カールにはどっちもないように見える。実際犯人にも「(神を信じるのをやめさせるなんて)時間の無駄だ。何も信じていないから」と言うんだけど、「お前はこの日を忘れない。目の前で何もできず助けられなかった日を。」(宗教の祝日を狙うのは信仰を捨てた日を忘れさせないためと思う。だから過去の被害者家族は元の宗教コミュニティに留まっていない。)って言われたときの表情を見ると、この人は苦しんでる人を助けたいという自分の心に帰依してるんだと思った。目の前で何もできなかったことなんてカールは「檻の中の女」以前にとっくに経験しているし。最後にカールが泣くのは、年端も行かない何人もの子どもが、自分が大人になってから経験しても手が震えるくらい辛かった「目の前で何もできなかった」経験を理不尽にさせられていたことに思いを至してのことだと思ってる。だからアサドに子どもは無知でいいって言ったんだと。

アサドの「何を信じたっていいんです」の言葉や、お前は家に入れないと言ってきた子どもの父親をアサドが看取ったことで、映画のメッセージは分かりやすく伝わったと思う。

高3のときに急にクラスメートが家で信仰している宗教の布教活動をクラスで始めて、受験期が近いこともあって問題になったことを思い出した。何を信じても、信じなくても自由だ。信じないと悪いことが起こるとか、そういうのじゃない、自分より大きな何かが恐らくはあるような気がすること、その感覚を信頼することが信仰なのではないのかなーと今は思ってる。

残念だったのは子どもの母親と犯人のガールフレンドがあんまり活躍しなかったこと。ガールフレンドはめちゃくちゃ骨のある女性で、小説では母親とふたりで子どもを取り返すために獅子奮迅の働きをするんだけど、尺不足か。

犯人が子どもにハサミを持たせるシーンは小説を読んでる人は心臓が破裂しそうだったんでは。私はもう叫び出しそうだった…。しばらくハサミを見るとどきどきしてしまいそう。

檻の中の女では自分のあずかり知らぬところで抱かれる恨みの恐ろしさ、キジ殺しでは特権階級と犯罪、今作は家族と信仰がテーマになってると思ってるんだけど、どんどんテーマがヘビーになっていくので観る側としても心構えが必要。ちなみに次回作も小説はだいぶしんどい史実を扱った話だったので、鉄の心で観なければ。
サスペンスとしても社会派の映画としても特捜部Qは出色だと思う。来年の「カルテ番号64」も楽しみ。